今考えるヨガスートラの役割 カウストゥブ・デシカチャー氏 プレゼンテーション和訳  ~Role of Patanjali's Kriya-yoga in facing COVID 19 by Dr. Kaisthub Desikachar~

今考えるヨガスートラの役割  カウスゥブ・デシカチャー氏  プレゼンテーション和訳  ~Role of Patanjali's Kriya-yoga in facing COVID 19 by Dr. Kaisthub Desikachar~

クリシュナマチャリア先生の孫 カウストゥブ先生の、世界中を巻き込んでいるこのコロナウィルスの状況の中、「どのようにヨーガの智慧を生活に活かしていけばよいか」のお話。とても実用的ですぐにやってみたくなることばかり、且つ心に響くアドバイスがたくさんありました。自分なりに和訳してみたので、ご興味あればぜひ読んでみてください :) 

Photograph of Dr. Kausthub Desikachar.  Photographed by KC Eng, Singapore
We can access his original presentation  / school information from the link below.


カウストゥブ先生の英語のプレゼンテーション
https://www.facebook.com/yogicselfcare/videos/293727361631537/UzpfSTQzOTIyNTk4NjE5OTA0ODoyOTI2ODA4NjQwNzc0MDkx/

 

インド チェンナイにある学校の情報   クリシュナマチャリア・ヒーリング&ヨガ・ファウンデーション(KHYF)

http://khyf.net/

 

 シンガポールを拠点としてアジア諸国を対象にする KHYF の詳しい活動内容

https://www.viniyoga.com.sg/  

 

☆ 6/2開講 『日本語通訳付き』カウストゥブ先生の全4回オンラインシリーズクラスの情報

https://svarupa.tokyo/all-posts/

 

 

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ナマステ 友人のみなさん、

本日は、パタンジャリのクリヤヨガ、ヨーガスートラが、このコロナウィルスの状況を乗り越えるのにどう役立つかを考える、ことがテーマにお話したいと思います。

 

まず、ヨーガは、マハリシ・パタンジャリによって、とても伝統的で古典的なヨーガスートラという書籍によって組織化されたことから説明しましょう。ヨーガスートラは、2,500年前から3,000年前に書かれたと言われていますが、もしかしたらもっと古い時代のものかもしれず、はっきりとしたことは分かっていません。このテキストは4つの章に分別されています。

 

1. サマーディ・パーダ

2. サーダナ・パーダ

3. ヴィブーティ・パーダハ

4. カイヴァルヤ・パーダハ

 

それぞれの章は、誰のために書かれたか対象をはっきりしており、

私の祖父のクリシュナ・マチャリア氏は、それぞれの章は、それぞれ異なるタイプの生徒に捧げられていると言っていました。

第1章は、サマーヒタ・チッタという状態の生徒たち、

reasonable stability / state of mind  筋の通った、ある程度の心の状態の生徒たちに向けて書かれています。

確実に、常に心が妨害されている、かき乱されている私たちのことではありませんね。

 

第2章は、ヴリッティタ・チッタという状態の生徒たち、
higly disturbed mind 常に心が揺れ動いている状態の生徒たちに向けて書かれています。

つまり、私たちのような人たちです。私たちのような生徒のために書かれているのです。

もう一度言います。私たちを対象に書かれています。

私たちの心は同じ場所に留まっていることがなく、よくあらゆる場所に動いています。

 

 

第3章は、
who has reached to the state of Samadhi,  三昧の境地に達した人たちが、マインドのの能力や可能性、潜在能力をさらに探求するために書かれています。よく洗練されたマインドで何ができるか。

 

第4章は、
who have very hiigh level of vairagyam 最も高いレベルのヨガの練習生のため、苦しみのサイクルから自由になるため、解放されるための方法を探すために書かれています。

心理学的にもとても意味深いことが書かれています。例えば西洋の心理学者の父と呼ばれるフロイドにも負けないくらい、マインドを深くよく理解して、はるか昔にこの psycolo ”spiritual” therapist とも言えるパタンジャリは書いたのです。いつか学ぶ機会があるとこと祈ります。

 

話を本題に戻しましょう。

第2章は心がクレーシャ、苦しみの種に影響されている私たちのような人のために書かれています。
私たちはクレーシャによってとても影響されやすいです。

クレーシャとは5つ、アヴィディヤ、アスミタ、ラーガ、ドゥヴェーシャ、アヴィニヴェーシャです。
アシュタンガヨガと呼ばれる8支則、ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナヤーマ、プラッティヤーハラ、ダーラナ、ディヤーナ、サマーディーも書いてはいますが、パタンジャリはとても現実主義だったので、多くの人たちにとってよりシンプルで、実践しやすい方法から説明を始めました。

それが『クリヤ・ヨガ』です。

タパス、スヴァディヤーヤ、イーシュヴァラ・プラニダーラ、この3つです。 

アシュタンガヨガ 8支則の内容は、心が乱れている私たちにとってはとても難しいでしょう。


得に現在の私たちの状況。

世界中がコロナウィルスに苦しみ、毎日悲しいニュースばかりを聞いている今の私たちにとって、
もう一度この基本の3つ『クリヤ・ヨガ』に立ち返ることはとても意味深いと思います。

”social distance ソーシャル・ディスタンス”という言葉の使い方も、私は適していないと思っています。

ただ、”physical distance フィジカル・ディスタンス” 身体的に距離をとっているだけで、社会との距離を取る必要はないのです。

オンラインメディアを通して、長い間会えない友達をも身近に感じることができます。 

それではこの基本の3つをどのように理解し、現在の生活に活かしていけるかを説明していきましょう。

 

 

1. タパス

もともとの意味は heat 熱、熱いものという意味なのでとても誤解されやすいのですが、

タパスとは、喉の渇きを潤すもの、すなわち、『喉の熱や毒素を取り除くもの』いう意味です。

タパスとは、身体そのものだけではなく、精神体、エネルギー体など、あらゆるレベルで『デトックスしていく行程』を意味します。


適切な食生活によって、タパス、身体の中の毒素を排除していくことが可能になります。

まず、私たちの身体は、食べている間に食べ物をそのままの形で消化吸収していくことはできない、ということを覚えておきましょう。

ピッツァでも、マサラドーサでも、中華麺でも同じです。

すべての食べ物は、消化吸収されやすい形に変換された後に、消化されていきます。

その季節、その土地からできたものは、同じ水、風、太陽の光でできています。

身体への負担なく、最も栄養価の高い状態で消化吸収されていきます。

特に肉食をする場合、身体は大きなエネルギーを必要とします。

今私たちに必要な免疫力を高めるためには、できるだけ身体に負担の少ない、地産地消の食材を摂ることをおすすめします。

遺伝子組み替え食品や、消化吸収の難しい食材は意識的に避けるとよいでしょう。

私たちの祖父母の時代は、肉は2週間に1回程度、現代のように3食全て食べていたわけではありません。
毒素を蓄積することがないように、

そして、免疫力と基礎代謝を高めるために、食生活を見直しましょう。

 

『プラーナーヤーマ(呼吸法)に勝るタパスはない』、とパタンジャリは言っています。

呼吸法とは、『意識的に』呼吸を行うことです。

考えなくても自動的に繰り返している呼吸、は、呼吸法ではありません。

煙草は呼吸法ではないか?というジョークを言う生徒もいましたが。
意識的に息を吸うと、マインドは呼吸に集中します。

マインドはまるで入れ物のようです。
意識的に呼吸をすることで、マインドの中には『呼吸』が入っていることにより、

悪いニュース、ゴシップやストレスなど、不要なもの、邪魔するものからマインドを切り離すことができます。

血液の流れも、マインドの状態も、リラックスして安心できる状態になります。

身体の毒素と一緒に、精神の毒素も排出していくことができます。

呼吸を意識的に制御することを、1日に3回、やってみましょう。心がどんどん洗練され整っていきます。

これが、タパス、身体の中の毒素を排除していくための方法としての呼吸、をすることが大切な理由です。

 

古典の時代では、呼吸法はマントラを使って行われていました。

全てのマントラにはネガティブな、否定的な要素がありません。太陽が嫌い、とは言わず、太陽に感謝します。

マントラをマートラ、拍数として呼吸法に使う場合、マインドはマントラの音そのものがもつポジティブな、肯定的な要素に満たされます。それが心の中にあったネガティブな要素に取って変わっていきます。

 

自分の食生活や呼吸法といった身体の中だけでなく、生活の中にもタパス、を活かして行く必要があります。

自分のワードローブも見直してましょう。本当に必要なものはどれくらいあるでしょうか?使っていないものはそれを必要とする人にあげましょう。いくつの車を持っているか、携帯を持っているか、私たちが必要のないものにどれくらい投資をしているか、また、私たちの世界がどれぐらい経済システム、資本主義に影響されているか考えてみましょう。それ自体が、毒素を産むシステムです。物をたくさん持っていればいるほど、より多くの問題が生まれてきます。

娘と先日、私が娘と同じ年の頃、一枚のシャツを何人が着ていたかを話しました。兄から引き継いで私が着て、その後は従姉妹へ。1枚のシャツは少なくとも3人で着まわしていました。それに引き換え、今はとにかく、消費社会です。昨年は700,000,000台の携帯電話がゴミとして捨てられたそうです。私たち自身が毒素を作り出さないように意識すれば、この世界自体の毒素も排除することができるはずです。

 

 

2. スヴァディヤーヤ
スヴァディヤーヤとは、self-obsession 自己陶酔ではありません。現代のような、セルフィー文化、美しい自分の顔を自分で撮影してSNSで自分で眺める、という意味ではありません。
スヴァディヤーヤとは、私たちが産まれた目的は何か、私たちが生きるべきダルマは何か、
そして、それを達成するために、何をするかを考えることです。
今も継続しているチャンティングのクラスで唱えているマントラは、はるか昔の時代、750年前、1,000年前、1,200年前、に生きた先生たちが作ったものです。これらのマントラはお金のためにではなく、彼らが自分自身の最善をつくして、自分自身の役割を果たすために生きていた結果です。他の事には脇目もふらず、ただ自分がやるべきことに集中して、自分の持てる全ての力を捧げたのです。そのように書かれたチャンティングは、彼らが亡くなった今も、大切に引き継がれています。
100年後、200年後に語り継がれるような生き方を、今している人はどれくらいいるでしょうか?
スヴァディヤーヤをした人たちだけが、このような生き方をすることができます。

スヴァディヤーヤとは、自分自身を見つけること、自分自身の本当の潜在能力 inner potential を見出すことです。

そして、他の人がどう思うか、などは考えずに、自分の最善の力を持ってそれを表現し、実行すること。
なぜなら、それが私たちのダルマ、役割、生きる目的だからです。
ヨガをすることで、スヴァディヤーヤ、自分自身を見つける事ができる、とヨーガ・スートラには書いてあります。
中略
様々な古典の物語がありますが、その中のある特定の登場人物に惹かれる、ことがあります。また、特定の神様に特に魅力を感じる、ことはありませんか。たくさんいるインドの神々の中で、私はハヌマーンが好きです。
ハヌマーンが私を引き寄せるのではなく、私の中にある本質が、ハヌマーンに引き寄せられるのです。
現代版で言えば、”アヴェンジャーズの登場人物の中で誰が一番好き?”という質問のようなものです。私の娘は、ドクター・ストレンジが好きだそうです。

スヴァディヤーヤを続けること、経典を勉強したり、マントラのチャンティングを続けたりすることで、
他の人のものではない、自分自身のTRUE NATURE 本質を見出す事ができます。それを始めましょう。
私たちは、この世界に、ただ食べたり、寝たり、祖先を残すためだけに産まれてきたのではありません。
私たちは、この世界に、自分自身の役割を果たす、ダルマを全うするために産まれてきたのです。

そして、それは、数ではなく、質が大切です。

何冊の本を書くかが問題ではありません。一冊の、本当に価値のある本を書く事に価値があります。
このパタンジャリのヨーガ・スートラをみてください。
195節のみ、小さな文字で打てば4ページにも満たないくらいの短いものです。
しかし、このたった4ページの中に、全てのヨガ哲学が書いてあります。これが質、というというものです
だから、この本が書かれてから2,500年も経った今も、私たちはこの経典を学び続けているのです。
私たち一人一人と同じように、パタンジャリは、彼自身のダルマを生きて、役割を果たしたのです。


これが、私たちがやるべきことです。他の人を真似をする必要はありません。他人のものではなく、自分自身の役割を見つけ、それを生き抜くことです。この請求書の支払いのためにこれをしなくては、と考えるのは、私たちが産まれた理由ではありません。
私たちにはそれぞれの目的が与えられてこの世に生を受け、そして、その目的を全うするためにこの身体が与えられています。
それぞれの目的地に到達するための、乗り物が与えられているようなものです。
今私はインドにいます。ここから、ある目的地には、電車や車で行く事ができますが、飛行機やボートでは行けません。
でも例えばシンガポールに行くには、飛行機ではないと行けません。
目的地によって、乗り物を変えるのです。
この身体を使って行使されるべきカルマは、目的地、と比喩されます。
性別やそれぞれが持つドーシャは、私たち自身のダルマを全うするために選ばれたものであって、偶然の産物ではありません。
私たちは、他の人の役割を真似て、生きることはできません。
マーケティング戦略に踊らされて、映画やNetflixを見続けるのはもうやめましょう。もっとダメな人間になってしまいます。

この貴重な期間に、一歩下がって、自分自身を観てみましょう。
あなたの人生で優先するべきことはなんでしょうか?得意な事はなんでしょうか?考えてみましょう。

個人的に、社会的に、そして世界的に、どんな貢献ができるか、3つの視点から考えてみましょう。

 

3. イーシュヴァラ・プラニダーナ

イーシュヴァラ・プラニダーナとは、全ての私たちの行動は、最も偉大な先生に捧げる祈りの形として行いましょう、と書いてあります。パタンジャリは、第1章において、イーシュヴァラとは、普遍的な先生である、と書いています。創造者でも破壊者でも維持する者でもありません。
もし、私たちの全ての行動1つ1つが、最も偉大な先生のためのものだとしたら。
結果のことは考えずに、全ての行動をとても意識して、注意しながら丁寧に、自分の最善を尽くして行うでしょう。

その結末は、全てそうあるべきものです。
行動そのものに集中し、自分で結果をコントロールしようとするのを止めます。それがヴァイラーギャ、離欲です。
全ての行動は、自ずから、そうなるべき結果になっています。
結果に期待し過ぎたり、結果そのものに執着する事なく、穏やかに、注意深く、意識的に、行動しましょう。
自分の最善を尽くせば、結果はどうであれよいのです。それが、パタンジャリの生徒たちがしていたことです。

感謝されるために活動していたのではありません。

パタンジャリにいたのはたった4人の生徒でした。イエス・キリストの弟子もたった12人でした。
感謝されるために、行動をすることはやめましょう。
最も偉大な先生に捧げる祈りのように、行動するのみです。

例えば、現在のような状況下で、私たちはオンラインクラスを喜んで取り入れている訳ではありません。

いずれはまた以前のような、伝統的な指導形式に戻るつもりですが、今は、このオンラインのクラスを必要としてくれている人がいます。『教える』という私のダルマを、自分が好きか嫌いかではなく、ただ、続けることです。目の前に生徒がいるか、それともモニターの向こう側に生徒がいるか、の違いだけです。
どのように自分が他者に対して行動するか、動物に対して、隣人に対して、海に対して、ゴミ箱に対して、全ての行動1つ1つについて、考える必要があります。全ての行動を最も偉大な先生に捧げる、意識でしてみましょう。思ったような結果になればいいし、例えそれが思い描いていた結果にはならなかったとしても、いいのです。これがとても大切です。

これが、イーシュヴァラ・プラニダーナの概念です。

 

 

 

(まとめ)
『タパス』何をデトックスできるか。何から毒素や有害なものを取り除いていくことができるか、

まずは自分自身のことから考えてみましょう。
自分自身身体から、マインドから、感情から、必要のないものは手放します。
それが、あなた自身が自分のためにできる『タパス』です。
そして、社会的視点でのタパス。自分と社会とのつながり、今いる自分の周り、友人、家族、との関係性の中に、どんな毒素があるのか考え、話し合ってみましょう。躊躇していてはいけません。
なぜなら、この人生、今世をこの方法で経験しているのは1度きりで、来世は私たちは変わっています。今の関係性を改善するには、今この人生においてでしかないのです。今あなたの周りにいる人たちは、の顔ぶれも代わり、次の人生ではいないかもしれません。世界が終わりを迎える時に、『あの人が嫌いだ、あの人とは話したくない』というエゴにしがみついていることに、何の意味があるでしょうか。エゴを手放すこと、これもデトックスの一つです。
家族、夫婦間、両親、義理の両親、兄弟姉妹、今や昔の自分の先生たちや生徒たちとの間にあるネガティブな感情はただ、手放しましょう。
そして、世界的視点でのタパス。
できるだけ、物の消費量を少なくしましょう。そうすることによって毒素、ゴミを排出する量が減ります。

 

『スヴァディヤーヤ』

あなた自身のダルマ、役割は何かを考えてみましょう。

今自分自身が身を置いている輪の中での自分自身の役割が果たせているか、もし果たせていないと感じるなら、何かを変えなければなりません。なぜなら、種は芽吹き、育たなければならないからです。それがダルマです。
しかし、あらゆる全ての種が、あらゆる全ての土の上で芽吹き育つことができるとは限りません。

今自分自身がいる土が、自分自身の種を育てるために適している環境かどうか、も考えなければいけません。
今いる拠点を変えたり、または今もっている関係性を変えたりする必要がある可能性があることを覚えておきましょう。

ただ種が芽を出すの待っている、だけではいけないのです。

 

『イーシュヴァラ・プラ二ダーナ』

あなた自身も、社会も、全ての世界も、コントロールできるものではないことを知りましょう。

何一つ、自分が思い描く通りにコントロールできるものはないのです。

唯一、全てをコントロールできる存在、それが私たちの伝統の中で伝えられている『イーシュヴァラ』です。

特に、現在のような状況下ではとても大切な教えと言えるでしょう。

 

これらが今日、私がみなさんにお伝えしたかったことです。

 

 

 

 

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以下 質疑応答 要約 

Q. この3つの考え方はどのように互いに影響しあいますか?
A.     私も昔、父に同じ質問をして、父が素晴らしい回答をくれたのを覚えています。

なぜパタンジャリは、『タパス』から始めたのでしょうか?
タパスから始めるということは、言い換えれば、その時点での自分自身に欠陥があるということ、つまり『私たちは完璧ではないということをを受け入れること』から始まります。
まずは『タパス』、毒素を手放しデトックスすることから始める、ということは、私たちの不完全性を受け入れること、
そうすることが自然に、『スヴァディヤーヤ』へと繋がっていきます。
そして、『スヴァディヤーヤ』を深めていくと、自分自身の役割を果たしたいという欲求が強くなりますが、

やがて、今この人生で起きていることは何もコントロールすることができないということ、『イーシュヴァラ・プラニダーナ』に気がついていきます。
これが、パタンジャリはこの順番に書いた理由です。
ただし、この順番でなければならない、という訳ではありません。どれでも、取り入れられるものから始めれば大丈夫です。

 


Q. スヴァディヤーヤを通して、どのようにダルマを見出していくことができるか、もう少し説明してもらえますか?

A. スヴァディヤーヤとは、スヴァとアッディヤーヤ、という単語で成り立っていて、アッディヤーヤとは、realization 体現する、実現するという意味があります。

スヴァディヤーヤとは、realize ourselves、自分自身を体現すること、とも言い換えられるでしょう。
私たちは各々の duty 役割を持って産まれてきています。

それに気がついているか、気がついていないかは別として、その役割の種は、私たちそれぞれのなかに産まれる前から植えつけられているのです。スヴァディヤーヤを続けることによって、私たちは自分自身の役割、ダルマにより近づいていくことができます。他の人に聞いてまわる必要はないのです。
猫が猫になるために行く大学や、犬が犬であると理解するために行く大学はあるでしょうか?
私たち人間も同じです。

自分自身に既に備わっているダルマを忘れてしまうのは、知性があるが故です。

西洋的考え方と東洋的考え方で、一番大きな違いがあります。

アリストテレスやプラトーが提唱する、「私は考える、故に私である」という考え方は(ヨーガの視点から言えば)全くの間違いです。ヨーガでは、「私がいる、故に私は考える」と言います。
もし自分自身が存在しなければ、いったい誰がどのように考えるのでしょうか。

西洋的考え方は、自分自身の考え、言い換えればエゴがベースになっており、自分自身が考えること、それが自分自身のアイデンティティー、自己認識の方法になっています。

考え方をひっくり返して変えてみましょう。
私たちが存在するが故に、考えることができるのです。
私たちに、これをしなさいとか、これをするべきだとか、他の誰にも言わせる必要はありません。

ただ、自分自身が持っている本質に従うのみです。ただ自分自身を明らかにし、他の障害を作らないようにすること、
例えば、他の人がどう思うかとか、何を言われるだろうかとか、考えないようにするのです。
ただ、自分らしくあること。それだけのことです。

スターウォーズファンの友人が言うように、go with the force, the force will lead you to do it.

フォース、すなわちプラーナと共にいれば、フォース=プラーナがあなたが導いてくれるでしょう、という感じです。

 

 

Q. ダルマという言葉には、役割という訳以外にどんな考え方がありますか。
A. ダルマの語源には holds, 私たちの本質を「持っている」という意味があります。

花は、種の中に花になる本質を持っているため、その花を咲かせます。

1つの細胞が、卵子と精子の出会いによって、私たちになるのですが、その1つの細胞の中に、どんな人間になるのか、全ての情報が詰まっています。男女、気質や素質、何色の目や髪の毛になるか、そして、産まれてくる目的、全ての情報が、1つの細胞の中に組み込まれているのです。
ダルマは役割、と訳されてしまうと、何か課せられるもの、という印象が産まれますが、これは危険と言えるでしょう。
ダルマとは、自然に、流れているものなのです。自分自身に無理やり、ダルマを強いる、ものではありません。ダルマとは、苦しみではありません。しかし、それは簡単なもの、という意味でもありません。でも、苦しみではない、ということを覚えておいてください。

Q. 異なる人たちに、この考え方を伝えていくにはどのようにしたらいいですか。
A. ある人にとっての毒は、他の人にとって毒ではないということ。それは、ダルマでも、自己実現の仕方でも同じことが言えます。それぞれにそれぞれの気質や素質が与えられているので、それを見出すための画一的な方法やシステムはないのです。それぞれの個人に合わせる必要があります。



PS. 60分のプレゼンの和訳、なかなか、時間がかかりました〜
できるだけ意訳しないで、先生の言葉に忠実に和訳するように努めましたが、完全ではないことをご了承ください。