再会と別れの10月 Reunion and Fairwell

再会と別れ Reunion and Fairwell in Oct. 2020

10月も半ば。この2回の週末で、2020年1番心が震える、再会と別れを経験した。


1週目は、再会の結魂式。

主役は、私をヨーガのマントラの教えに導いてくれた太陽みたいな先生、なおさんと、

なお先生の元で共に学んでいた月みたいなお友達、あやかちゃん。


魂の深い所で、お互いを尊敬し、支えとし、愛しあっている2人の女性は、まさに太陽と月。

とても自然に、お互いが最も輝き合える形で、人生を共に生きていくことを決めた。


素敵な2人を慕う、これまた素敵な仲間たちが100人以上!山梨県のキャンプ場に集まって。

中秋の名月の下でお餅つきをして、

富士山を見ながら生まれたての太陽の光の中で笑って食べてヨガをして、

その光だけで夜道を歩けるくらい大きな満月の光の中で、ウェディングケーキを食べて歌って踊った。


参加者みんなのお料理をふるまったお母さんとそのチームは、おもてなしの達人。見たことない量のカレーをドラム缶で煮て、見たことない量の味がよーく染み込んだおでんを仕込み、美味しくて盛り付けも美しく、子どもたちも安心して食べられるお料理ばかり。感激した。

本当にありがとうございますm(_ _)m



娘にとっては初めてのキャンプ。

2人を祝いたい気持ちですぐに参加を決めたけど、暗い山で2泊眠れるかなあ、大丈夫かなあと、行く前の日はあんなに不安だったのに。

心から楽しめる、とても安心できる場所だった。

1番心配だったテント設営も、24時間娘の面倒も、たくさんの友達や、はじめましての方もみんな一緒になって手伝ってくれて、本当に嬉しかった。


そして、初めて出会う子どもたちの輪の中に一目散に飛び込んでいく娘の背中が、実に頼もしかった。

帰宅した後も、ライブで見た打楽器を思い出すように、家にあるもので音を出して遊ぶようになったのを見て、ああ、ちゃんと参加して受け止めてくれたんだなあと感じる。




なおさんとあやかちゃんの結魂式は、

常識や誰かが決めた枠に縛られることなく、自分らしく、自分自身を生きていくことがどんなに幸せか、そして、私もそんな生き方がしたい!と心から思える、暖かくて力強いエネルギーに満ちていた。


3歳になったばかりの娘のこころが、こんな特別素敵なセレモニーを一緒に体験できたことが、心から嬉しい。これから大きくなるにつれて迷った時には、このキャンプ場で二人が体現してくれた、自然で自由な在り方を思い出してくれたらと心から願う。


なおさん、あやかちゃん、

そしてその式を作り上げてくれた参加者のみなさん。みんなみんな、本当におめでとう、出会ってくれてありがとう(*^^*)


2週目は別れのお葬式。

大好きな私の母方の祖母が、穏やかに旅立った。

年始は五木ひろし(おばあちゃんはファンクラブ会員)が紅白歌合戦で歌うのをこたつで一緒に観て、夜明けまで話して、テルミー(お灸)をしてあげて、また会えるし、これからも一緒に過ごせるとばかり思っていたのに。


4ヶ月前に突然脳梗塞で倒れて、ヘリコプターで緊急搬送されて入院。目を開けて微笑んでくれることもあったけど、できる食事はわずか、言葉が出なくなって、痛みや自分の意思を伝えることができなくなっていた。つい前日の夜まで、電話で元気に話していたのに。


旅館を切り盛りして、みんなを元気づけてくれる、太陽みたいな女将だった陽子おばあちゃんのことを想うと。亡くして一週間経っていない今はまだなんだかよく眠れない。




でも、この別れで気づいたことが2つ。

祈りと音の力と、

自分が心地良いと思う感情との向き合い方。


ヨーガの方法の一つに、マントラを唱えるをチャンティングがある。

ベーディックチャンティングの正式指導者のなお先生が唱えるマントラを聴いたとき、ただただ、心が震えた。正しく唱えるサンスクリット語の音の響きが、こんなにも心地よくて力強いことを、初めて知った。

闘病中のおばあちゃんに会えない間、おばあちゃんのことを想って、チャンティングしていた。


お通夜でも告別式でも、ずっと家族みんながお世話になっているお坊様と一緒に、読経した。

今までありがとう、の気持ちと、おばあちゃんが安らかに眠れますようにという祈りの気持ちを込めて。お経を聴いている時以上に、一緒に唱えている時は、気持ちがおばあちゃんにしっかり向いていて、祈りが届いていくように感じた。

また、自分の心も読経に集中している間は哀しみから自由になっていた。

改めて、祈りを込めた音の力を知った。



もう1つは、感情との向き合い方。

オンラインで毎週開催しているヨガクラスで、今週は〈今起きていることを味わい尽くす〉についてお話した。


ヨガ哲学には、自分のマインドがあらゆる出来事に反応、することで「苦しみの種」が生まれてくる、何にも振り回されることのない、変わらない、動じない、静かな自分がいることに気が付きましょう、という教えがある。

でも、苦しみにならないなら、楽しんでできるなら。人生をより豊かに、カラフルに、奥深くしてくれるから、大切な人との別れや日々の出来事に一喜一憂、素直に反応すること、感情に向き合うことを私は選んでいる。

人生の1ページとして、自分の中に取り込める時が来るまで、自分の中に湧いてくる感情を味わい尽くすことが、私にとっては次にすすむために必要なプロセスだなあと改めて気がついた。


ネガティブな感情、怒りや憤り、苦しみや哀しみを忘れようとしたり、そこにあることに気がついているのに見ないふりをしたり、

普段は上手に台風に巻き込まれないように距離をとったりしている人も。

少し意識的にアプローチを変えて、

その感情を経験している自分自身と向き合う、

自分自身と共にいる、

〈味わい尽くす〉ことを、ヨガのポーズに留まる中で一度やってみませんか、というお話をした。


クラス後、参加してくれた生徒さんが、「自分の中に今まで敢えて光を当てずにきた気持ちがあることに気がついた」「自分が問題に向き合う時の考え方の癖、無意識の行動パターンに気がついた」ことを話してくれて、とても嬉しかった。

なお先生が教えてくれた、「ヨーガは心にメスを入れていくようなもの」と言う言葉を思い出した。




おばあちゃんを亡くした哀しみは、まだ家族全体を包んでいて、

身体は失くなっても、光の元に還っていっただけ、いつも私達のそばにいてくれている、

と、思えるようになるまで、

もう少し時間がかかりそう。


哀しくないふりをしないで、十分に哀しんで、

哀しんでいる自分に寄り添うことで、家族みんなが少しずつ、ゆっくり時間をかけて落ち着きを取り戻していけたら、この別れを受け入れていくことができたらいいなあと思う。